吾輩は無職である。
名前は明かせないが、便宜上カロリーと名乗らせていただきたい。
現在(2023/5/31)は週に20時間以上風俗に入り浸り、歓楽街に足を向けて寝られない状態の独身30代である。
働かずに享楽にふけることに対し、羨望のまなざしを向ける方も、哀れみの目を向ける方も、私は大歓迎である。
現状に至った経緯
寮の友人に夢精の相談をする
私は中高6年間を寮で過ごした。
仲間たちと同じ釜の飯を食べ、時には衝突を繰り返しながら絆を深めていく、そんな場所である。
そんな素晴らしい場所で過ごすにあたり、大きな懸念が一つある。
ホームシックやいじめを思い浮かべる人もいるだろう。だが、そんなものより遥かにつらいものがある。
そう、夢精である。
念のため説明しよう。夢精とは、睡眠中に射精に至る現象のことである。
英訳するとNocturnal Emission(ノクターナル=エミッション)らしい。かっこよすぎかよ。
私の場合、睡眠中に天使が舞い降りて、ひと擦りもなしにある意味昇天する、というものだった。
寝る前にエロいものを見ると、天使降臨の確率が跳ね上がった。
見なくても週に一度ほど彼女はやってきたものだ。
私の住んでいた寮には洗濯機がなく、所定の場所に衣服をぶん投げておけばおばちゃんたちが洗濯乾燥をして、自分の番号の棚に返してくれる、というシステムだった。
おそらくこのシステムを採用している中高の寮は多いだろう。
何を隠そう、”白い悪魔”が付着した状態で洗濯に出さなければならないのである。
当時はおばちゃん達や、一緒に洗濯される友人たちの衣服に対し、心の中で何度も謝ったものだ。
自家発電して処理すればいいではないか、そういう人もいるだろう。
、、、やった上でのことである。
最近やたら、原因自分論に基づいて考えなければ物事は改善しない、なんて見方が世を席巻しているが、
こんな心境であった。必死にやったことの次元が低すぎるんだけれども。
そんなわけで頻発するこの非常事態を友人に相談した。
背が高く声変りが早い、下の毛も中1にしてボーボー、いわゆる第二次性徴エリートである。
こいつに聞けば、この手の問題はすぐに解決する。そう思ったのだが、、、
「きもっ!」の一言である。当たり前である。
しかし、収穫が一つあった。
誰も夢精の話をしないのである。
性の話に貪欲な人たちもこの話題に触れなかった。
なんとなくここで気づいたのが、私という人間が、平均よりもemissionするのを抑えきれない人間だということであった。
家庭教師のバイト先のお母様で対人戦デビュー
時は流れた。彼女の一人もいないまま。
厳密にいえば一人いたが、何もなかった。何も。
その後はコミュ障陰キャのロードを突き進んだ。
19歳のころ、私は東京大学に在籍していた。
少しだけ合格までの経緯を書きたい。
高校時代は勉強をロクにせず、受験ギリギリまでエゥーゴvsティターンズや戦国無双ばかりやっていた。
科目別の目標点数を設定し、「ワンチャンあんじゃね?」などと抜かしたことはあったが、まさか本当に東大を受験するとは思っていなかった。
きっかけはセンター試験の点数が8割という爆死を遂げたことである。
この時点で、センター割合の小さい東大しか選択肢が残っていなかったのである。まさに乾坤一擲。
ちなみに当時の目標点数設定は、セ90国65英70数60世45日35であった。
合格最低点の低い年であったため、この通りうまくいったかは不明である。
世界史のカリスマ先生には今も頭が上がらない。
さて、そんなこんなで何となく現役合格してしまったため、勉強する習慣が身につかず、英語で留年するかもしれないという危機的状態で2年生の日々を過ごした。
”やらはた”が迫っているという事実も私を苦しめた。前門の虎、後門の狼である。
しかし転機が訪れた。
2年生の秋、ダイニングの椅子で服をはがされたのである。
経緯を説明したい。
私は、自分で言うのもおこがましいが仕事は割と熱心で、家庭教師の担当生徒が帰宅する前にお宅に到着し、待機させてもらうのが習慣だった。
当然お母様と仲良くなった。愚痴も聞いた。
おそらく家庭内でのストレスが爆発したのだろう。
「ごめんなさいね」と言われながら、対面座位で瞬殺された。
パニックになっている間にもう一度致された。
ここに、童貞喪失の儀はあっけなく終焉を迎えた。
忙しないもので、なかなかAVのようにはいかないものである。
これにより、熟女好き、対面座位好きという性癖をラーニングするのだった。
ついに風俗通いに目覚める
3年生となり経済学部生になって以後は、2年生までの怠惰を反省し、勤勉になった。
大学院の講義を履修し数理ファイナンスに目覚めて、在学中から投資ファンドで働いた。
2年生までの生活が嘘のようであるが、このように3年生から心機一転できるのが東大のいいところである。
当然ながらお金が貯まっていくが、使いどころがなかった。
そんな中見つかった使いどころが風俗であった。
デビューは、友人に連れられてのものだった。
そう、あの夢精の相談をした友人である。
当時の私は、風俗と言えばヤクザが出てくる、みたいなイメージを持っていたので、あまりに怖すぎて入口付近で入店するのをゴネていたのだが、なんだかんだ入店した。
結果、中途半端にゴネて却って恥ずかしいおデブ一匹の出来上がり。
とりあえず右も左もわからないので40分1万円のヘルスに入った。
指名とかもようわからないのでスルー。
出てきたのは私にはもったいないくらいの美人お姉さんだった。
振り返ってみれば、我が風俗人生の中でもなかなかの淡白ぶりであったが、笑顔が素敵だったし、何よりランカーの人がどういうプレイをするのかも知らなかったため、夢の世界であったことを覚えている。
結果、あっけなく終わり40分コースで時間が余るという事態であった。
今はというと、正常位ですらいきにくい因果な体になってしまったのだが。
フリーで渡り歩いてみると、やはり気になるのが指名という概念である。
その店は、フリーでも外れがない神店だったのだが、どうしても気になるものである。
友人に聞いてみたところ、「カネがないから指名なんてしないよ」とのことだったので、逆を言えばカネがあるなら指名する、と解釈した。
それを機に、歯止めが効かなくなった。
そこは間違いなく、至上の楽園であったのだ。
イェール合格を辞退して、遊び金口座を作る
大学を卒業して間もないころ、仕事に嫌気がさしたのでなんとか退職。フリーランスに転向した。
実は素晴らしい大学の修士課程に合格したのだが、第1志望のプリンストンには落ちてしまったため、焼肉と風俗を優先した。
ここに、プリンストン>焼肉風俗>イェールという、「カロリーの不等式」が誕生したのである。
M&Aに携わることもあったので、ギャラがえげつないことになりそこそこの資産を築いていた。
そこで、生活防衛資金を除き株式に投資した。
一部をバリュー株に投資して配当を遊び金とすることにした。
残りをアップルをはじめとする成長株に投資することにした。
当時は風俗に通うといっても、せいぜい週1で80分コースくらいのものだった。
というわけで、なんとか配当と駐車場収入で風俗代を賄うことができた。
億り人になり風俗に入り浸るようになる
遊び金用の資産が5000万に達したので現金化し、株は成長株のみのロマン砲に。
当時、あまり生きたい欲がなかったので、5000万も遊べれば十分、という判断だった。
それが少々減ってきたところで、コロナショックがやってきた。
全力で株を買いに行ったことでまた資産が増えた。
完全にFat FIREを達成したが、これを機に生きているのも悪くないなと思いなおしたため、生活部分の運用と遊び部分の運用を再び分けた。
そこからというもの、4時間以上のロングコースでお店に入り浸るというのが常態化した。
さらにFat FIREにより時間だけはあったため、その頻度は増えていった。
これにより、夢精はなくなった。
勤勉を捨て、昔以上の怠惰の世界へ足を踏み入れたのだった。
ブログ開設へ
FIRE仲間も増え、ブログやYouTubeでお金を稼いでいる知り合いも増えた。
そんな中、好き×得意なものはなんですか?と聞かれ、、、
「風俗通いとAV鑑賞の話をすることだ」と答えた結果、そのブログやりましょうよ、という話になり、現在に至る。
まとめ
そんなわけで、以後定期的に更新していく予定である。
私の経験が、一人でもお役に立てることができたのなら、それは至上の喜びである。
何卒お引き立て願いたく候。
終。
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